隣国の蛮行 危うい日本

人類の危機に対応するために

日本国憲法を考える

憲法は現状に合わせて改正していくもの

 憲法とは、不完全な世の中の、不完全な人間がつくった、不完全な約束ごとです。刻々と変わる世界情勢や国民の規範意識、価値観の変化に合わせて、改正していかなければならないものです。宗教の経典ではありません。金科玉条のバイブルのごとく憲法を信仰していたら、憲法を守って国を守れない、本末転倒の事態になりかねません。

 憲法は国や国民を守るための掟・精神を表すものです。その国が重ねた歴史のなかで築き上げられた、規範や価値基準が理念となっていなければなりません。現在の日本国憲法は、アメリカから「日本人はこうなれ!」と押し付けられた憲法です。日本を占領するのに都合のいいように創った命令書です。世界に類を見ない悠久の歴史を誇る、日本民族の“精神・魂”を全く感じない、取って付けて、切って張ったような、おかしな憲法なのです。

 

平和憲法という幻想

 日本は戦後70年以上も、アメリカに国民の生命と財産をゆだねてきました。現行の日本国憲法は、アメリカに守ってもらうことを前提としてできた憲法です。200余の国がある中で、自分の国を自分で守れない国は日本だけです。

 自国の防衛のために戦力を持つことは国連で定められた正当な権利です。その自己防衛でさえ行使できない憲法です。「相手が襲ってきたら両手を挙げて無抵抗でいなさい」などという降参憲法では、死ぬか奴隷になるしかありません。日本を守る憲法をつくらなければなりません。

 

 「憲法九条があるから大丈夫」というのは、国際情勢の現実を見ることのできない、九条の妄想信者です。カルト宗教の盲信者は、他人の忠告に聞く耳を持たないものです。困ったことに九条の信奉者も、思考停止したカルト宗教の信者と同じで、まったく聞く耳を持ちません。 

 憲法はその国の規範や価値基準を表したもの“国体”であり、その国のみの理念や掟(おきて)を現したものです。他国には何の効力も強制力もありません。習近平に日本の憲法を守る義務も責任もありません。習近平金正恩に言わせれば、『日本には憲法九条がありますから、軍隊を持ったり、核兵器の開発をしてはだめですよ。私の国にはそういう憲法はありませんから、軍隊を増強し、核兵器もどんどん開発しますからよろしく。』ということになります。

 手段を選ばない中国の膨張、野望、覇権主義に対して、我が国はどのように対応すればよいのでしょうか。今、尖閣諸島や沖縄を奪おうとしている中国に対して、日本国民が日本を守らなくて誰が守るのでしょうか。

 いつまでも平和憲法という幻想に縛られていてはなりません。憲法九条は国を守ってくれません。国を守れるのは防衛力です。日本のように民度の高い国家が、より強い軍事力を持つべきです。日本がアジア諸国で最強の兵力を持つことが、自国とアジア、世界の平和を維持できるのです。